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改憲をめぐり反目した岸信介と生長の家・谷口雅春

まず、簡単に説明を。下で取り上げる岸と谷口の会話に出てくる「国民大会」というのは「自主憲法制定国民会議」(略称、自主憲)という老舗の改憲団体が開く集会「自主憲法制定国民大会」を指している。「自主憲」の設立には生長の家の他、統一教会や佛所護念会といった宗教団体も加わり、初代会長は岸信介、現会長は中曽根康弘が務めている。「国民大会」は現在でも改憲派の国会議員らを出席させ、毎年5月3日の憲法記念日に開かれる。これ以上は長くなるので「自主憲」について詳しく知りたい方は下に貼ったページでどうぞ。

自主憲法制定国民会議(新しい憲法をつくる国民会議)と宗教団体

さて、この会話は昭和50年頃1)国民会議事務局長・清原淳平の著書と国民会議ホームページの記載には時期に少しズレがある、谷口雅春から岸信介に面会の申し入れがあって会談した際に、自主憲の運動方針をめぐって交わされたもの。

谷口:
「自分は、現行憲法無効・明治憲法復元を信念としている。しかし、これまでの国民大会で、岸信介先生から、そうしたご発言はない。次の国民大会では、ぜひ、現行憲法無効・明治憲法復元を明言していただきたい」

岸:
「日本が独立して十年ぐらいの間ならば、それは可能だが、もう二十年以上も経った現在では、それは、できませんよ」

谷口:
「なぜですか」

岸:
「現行憲法無効・明治憲法復元となると、この二十年間に執行された政治判断、各種法律政令、また、これまでの裁判の結果は、その元となる憲法が無効となるのだから、再審請求を起こされてもやむを得ない。すると、社会は大混乱となるよ。また、昭和五十七年の独立直後ならともかく、いまになって、現行憲法無効・明治憲法復元となると、それは合法的改憲ではなく、革命となってしまう。そうなると、国民ははたして、ついてくるかね」

清原淳平編著『岸信介元総理の志 憲法改正』より

誤解されるといけないので補足すると、岸だって、欠陥の多い占領憲法を正しく改めなければ国家の自滅を待つことになると説くコテコテの改憲派で、自主憲の会長職も亡くなるまで務め上げるなど生涯にわたって改憲運動に勤しんだ。

清原の著書によると、この当時、自主憲に最も人を動員させていたのは生長の家だったというから谷口には団体内での発言力があったはず。そんな谷口が、よりラジカルな改憲案を自主憲の目標に掲げるよう促したのに対し、会長の岸がはっきりと否定。これをきっかけに谷口率いる生長の家は自主憲を脱退し、「占領憲法破棄・明治憲法復元」を目標とする独自の運動をはじめることになったのだという。もしかすると、この会談こそ後に日本会議に連なる運動が誕生するか否かの分岐点だったのかも知れない。

次に岸と自主憲の事務局長・清原淳平による会話。こちらは国民会議ホームページから。

岸:
「ところで君は、再審請求ってこと分かるかね。」

清原:
「私も六法は一通り勉強しましたので分かります。法体系には、上位法・下位法の原則、すなわち、下位の法は上位の法を侵すことはできない。下位の法は上位の法の範囲内で作られなければならない。したがって、いまの日本国憲法が無効となれは、その下の法律・行政措置・裁判はすべて、法的根拠を失ってしまいますから、もう一度、審査をやり直してほしいという再審請求を提起されてもやむをえない。この上位法・下位法の原則は、法律の基礎として、法学原論などで最初に習うことです」

岸:
「その通りだ。20年も経って、それも一度の改正もないいまになって、現行憲法無効となれば、いたるところで再審請求が出て、国内は混乱してしまう。そして、現行憲法無効・明治憲法復元だということになると、それは、もはや革命と言ってよい。したがって、いまの私は、現行憲法を有効とし、その上での、合法的・合理的に、改正するほかない、と考えている。君が分かってくれているなら安心だ。私の考えに従って、君にやってほしい」

岸信介の信念/新しい憲法をつくる国民会議(=自主憲法制定国民会議)

改憲運動を、岸が提唱したような現行憲法に手を加えることを目指す流れと、谷口が唱えた現行憲法(占領憲法)を破棄し、明治憲法復元を目指す流れに大別した場合、前者を推し進める最大の運動体が自主憲法制定国民会議で、後者は日本会議2)谷口の意思を受け継いた者が先導したといったほうが正確ということになるだろう。

知っての通り、安倍晋三の改憲は祖父である岸信介の意志を受け継いだものである。よって、最近いわれるような安倍は日本会議の傀儡との見立ては些か見当違いといえる。かといって自主憲が安倍を操っているわけでもなく、日本会議も今では「破棄・復元」を封印し、より現実的な路線に転換したなんて話もあるのだが。

※岸と谷口の会話は読みやすくするため出典に改行等を加えたもの。また、清原の著書では「生長の家」という名称は伏せてある。

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脚注   [ + ]

1. 国民会議事務局長・清原淳平の著書と国民会議ホームページの記載には時期に少しズレがある
2. 谷口の意思を受け継いた者が先導したといったほうが正確