岸信介が統一教会本部で行ったスピーチの記録

岸信介が統一教会本部で行ったスピーチの記録

1973年4月8日に、岸信介が渋谷区松涛にある統一教会(世界基督教統一神霊協会、現:世界平和統一家庭連合)本部を訪れた際に行った講演の記録。

ただいま久保木会長から御紹介ありましたように私は、ここへは今回で三度目だと思います。その前に実は、統一教会と私の奇しき因縁は、南平台で隣り合わせて住んでおりました若い青年達、正体はよくわからないけれども日曜日毎に礼拝をされて、賛美歌の歌が聞こえてくる。今考えてみれば久保木会長なのですが、非常に大きな声でお説教されていたことに私も大変に興味をもってみていたのであります。

そうしたら、私の友人である笹川良一君、戦時中の罪を問われまして、戦犯として巣鴨の監獄で三年余の起居を共にした、いわゆる獄友で人生のうちでも極めて思い出の深いお友達の一人で、非常に懇意の間柄であります。その笹川君が統一教会に共鳴してこの運動の強化を念願して、私に、君の隣にこういう者が来ているんだけれども、あれは私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君で、将来、日本のこの混乱の中に、それを救うべき大きな使命をもっている青年だと私は期待している。最も現在の数は非常に少なく、又ずい分誤解もあり、親を泣かせるとマスコミも騒いでいる。そういう話を聞き、お隣りでもありましたので、聖日の礼拝の後に参りましてお話したことがありました。人数もせいぜい二、三十人ではなかったかと思います。久保木君のお説教は、今日のようには長くなかったと思いますが、しかし、極めて情熱のこもったお話を聞きまして、非常に頼もしく私は考えたのです。又、皆さんの先輩である福井さんとも妙な関係にありまして、ずい分悩まされる程、私の所を訪ねても来られますし、勝共連合と私を斡旋していただいているのであります。

このような関係で、ここへも三度参っているのでありますが、今日は特にお隣りの国、韓国から政府の方や大学の先生方を二十二名お招きになりまして、国際問題や防衛の問題等についていろいろな御研究やお話があるとのこと、私は、勝共連合がただ単に人間個人としての悩みを解決し、個人としての生き方なり、世に処する道を宗教的に解決するということだけではなくして、あるいは本当の個人のそういうものを解決するためには、当然のことだろうと思います。

我々が住んでいる社会、住んでいる国家、あるいは住んでいる国際的世界というものが本当に救われ、本当にこれらの悩みが解決されてこそ、本当の個人の悩みとか個人の生活の問題が解決されるということができるのだろうと思いますが、少なくとも現在、この混乱した国際情勢の中にあって、殊に周囲に於てはいろいろなみにくい争いやあるいは利己的な行動や、あるいはお互いに殺し合うみにくい姿が渦まいている情勢に於て、本当の平和、本当のお互いが信じ合い、手を握り合って、我々の繁栄と、我々の生活の美しい環境というものをつくりあげることのできるようなこの世の中をつくるために、我々は如何にしなければならないのか。又、どう努力し合わなければならないのか。というようなことに対して、私自身が政治家の一人として、現実の政治、一国の国内問題は勿論のこと、国際的に我々の国が位置しているアジアの問題、更に世界全体の問題に関連して政治家として、現実に我々がぶつかっている、又努力している色々な問題が、我々が希望しているように、我々が念願しているようになかなかなり得ない。ある場合には、我々の本当の心の中で考え、実現しようとしているその事柄が、その時代の人々に十分に理解されない、むしろ、それが色々な力によって実現が妨げられているというような現実にぶつかって参りまして常に悩んでいるのでありますが、しかし、現実の対社会的な、国際的な悩みというものは、現実の悩みというものは、現在の政治家の力だけでは解決されるものでもなければ、また、いわゆる政治ということに限定されて、これが解決されるものでもないと思うのであります。

人間が、殊に私のようにもう既に八十に近い年令に達しておりまして、元気であるとはいいながら、最早使命の大部分が終わっている私。今、私の一番の心の願いは、我々のあとを継いでくれる人々、即ち君達。こうした若い世代の人々が、この我々の考え方、世界に本当の平和と繁栄、そうして高い文化の生活ができるような世の中をつくりあげるために、更にその生命の全体を投げ打って、あなた方自身の力のあらん限りにこれに期待して、実現に向かって行くと共に、又、あなた方のあとを継ぐべき人々を育てあげて、そうして我々はどんな困難があろうとも、理想の社会、理想の国際情勢、あるいは我々の神の国と申しますか、この罪悪に満ちている忌まわしい悪の世界、間違いだらけの世の中が正しい世の中になるように、我々が一生をかけ、又その次を、その次をとかけて努力していくことが、我々の本当のしなければならないことだと思います。

勝共連合の皆さんが、若いバイタリティをもって、こうした問題に取り組んで、ただ理想だけではなくして、これを実際の生活の上に身をもって実現し、今、久保木君が言われるように、特に日本と重要な関係のある、国際的にも非常に大きな力をもっているアメリカの国内事情、又、アメリカ人の現在の有り方というものを考えて、皆さんのうちから数百人、数千人、あるいは数万人の人々が行って、正しい本当の平和と繁栄を世界にもたらすようなアメリカというものをつくりあげるために挺身すると――。私は、非常にそういう皆さんの努力に対して心から頭を下げ、同時にその成功を祈って止まないのであります。

私は、総理大臣、又、前後して政治家として最も私自身が念願して参りましたのは、アジアの本当の平和と、アジアの繁栄を基礎としての世界平和と繁栄ということを常に念願して、又、私の政治の指針として考えて参ったのであります。従ってそういう意味にありましても最も親しく、最も強く手を握っていかなければならないのは、地理的にも歴史的にも文化的にも深い関係のある中華民国又び大韓民国、これと日本とが本当に心を合わせ力を出し合って、お互いに信じ合い、助け合い、協力し合って、アジアの安定とアジアの平和の基礎を造りあげるということが、私は極東に於ける一番大事なことだとこう考えてそのためには、この平和と安全を守る機構として、日米安全保障条約の機構が、私は必要だと考えたのです。

これは決して日本だけの平和と繁栄を守るということではなくして極東全体の平和と繁栄を我々は守らなければならない。極東の平和と繁栄がどこかで損なわれるならば、我々自身の平和と安全も確保されないという、いわばこの三国は、いろいろな意味において運命共同体で、もしも具体的に、仮に韓国が共産主義の国になったとするならば、日本は今のような自由主義、民主主義を保持することは不可能だ。同時に、日本が共産主義の国になったとするならば、大韓民国も自由主義、民主主義の国として続けていくことは不可能だと――。

こういうふうに非常に密接な、お互いに相寄り、相助けて行かなければならないということが本質的につながっている。これらの三国というものが、私の本当の平和と安全を確保するために、アメリカとの間に日米安保条約という機構を固めて参ったのであります。

(略)

この点に於て非常に残念なことは、昨年の秋に中華民国を袖にして中共との間に国交を樹立したことであります。日本は地理的にも国民的にもいろいろな感情からいって中国というものに対しては非常な一種の歴史的な親近感をもっているのであります。しかし、その中国というのは、実に日本人の多くのものが持っている中国に対する親近感というのは決して共産主義の中国というのではなくして、むしろ、孔子様や孟子様の儒教の中国が日本に長い間の民族的な影響をもってきているので、そうした何となくぼんやりもっている中国への国民の親近感を利用して極左勢力は中国に対する我々の歴史的云々とごまかしているのであります。

国民が持っている中国というのは、いわば昔のシナであり、決して毛沢東や周恩来のマルクス・レーニン主義のあの中国ではないのであります。それにすり代えられて、何とかして中国の間とも仲よくしなければいけないという空気が盛り上がってきたことは事実であります。

又、アメリカのニクソン大統領は日本の頭越しに中共を訪問して周恩来と会談するという報が伝わりますと、もうこのバスに乗り遅れてはならないというようなマスコミあたりの利用宣伝が功を奏し、田中内閣は直接北京へ訪ねていく。私は田中君に会って、自由民主党ではこの問題を非常に重大問題として、党内に特別委員会を作りまして、その結論は、中共との間に国交を成立することは、ここ迄くればよろしい。しかしながら、中華民国との従来の関係はこれを存続していかなければならない。従って台湾との関係は損なわれないようにしていかなければならないというような条件をつけて党議を決定したのであります。

田中君がいよいよ行くという時に私を訪ねて来て、中共との間に国交を正常化するという。私は、それはよろしいけれどもあくまでも中華民国との関係は存続しなければならないという党議は厳守してやって来いと――。ところが田中君は、外務省の大平君とも話しているのだが、周恩来、毛沢東のみならず蒋介石総統も中国は一つなりと言っているから、一方を認めれば一方を止めなければならない。党議は、ああいうことを決定しているけれども、北京と国交を正常化すれば台湾との関係をうち切らなければならないということを田中君は言ったので、私はもしもそういうふうであるならば田中君と大平君とが行く必要はない。そんなことならば、一方を認めたから一方と手を切るなどという簡単な問題なら、せいぜい局長か次官をやって向うと話をすればいいのであって、真の外交というものではない。おまえの方とも仲良くしよう。しかし自分の方の中華民国との関係というものは、終戦後、今、久保木君が言われたように、関係があった。

蒋介石総統が、怨みをもって報いるには徳をもってせよといって、二百万の日本の軍人、その他の中国にいたことごとくの人を帰してくれた。あるいは占領政策は、結果的にはマッカーサーの元に国土が全部統一されて占領下に置かれた時、ソ連が分割占領を主張したのです。本州、四国はアメリカやイギリスが占領し、九州は中国の蒋介石総統、北海道はソ連と分割占領しようという案に、まっこうから絶対反対だ。自分は九州には進駐しない。従って北海道にソ連が進駐することは反対だ。日本は一轄して連合軍の占領下におくべきだと主張されたのである。更にカイロ会談の際に、終戦後の日本処理案が当時のチャーチル、スターリン、ルーズベルト、蒋介石の四人で議せられた時、ソ連は日本の天皇制の廃止を強く主張し、伝えられる所によるとイギリスはこれに賛成した。しかしながら蒋介石総統は一番先にたって、天皇制の問題というようなものは日本国民が決めるべき問題だ。我々が外からこれを強制すべき問題ではないとして、ルーズベルトもこれに賛成して。遂にこの問題は消されたと伝えられております。いずれにしてもこうした深い関係にあり、その後二十数年に亘り、平和裡にいろいろな関係をもっているのだからこれを止める訳にはいかないとして、そのことを充分に注意してみなさい。

中共の現在の立場は、ソ連との関係があり、従って今迄米帝国主義は日中共同の敵だと大きな声で言ってきたアメリカとも手を握ろうとしている。それは中国の、非常に国内、国際的な事情からそれを察知しているのでありますが、日本は勿論隣りの国であるから、中国と長い目でみて国交を正常化しなければならないけれども、台湾を犠牲にしてまでも急ぐ必要はないんだと、総理はその点を充分腹において、出来れば台湾問題にふれずして、この問題は、君の方は君の立場があり、主張があるだろう。しかし、日本の立場はこうなんだから、これを今すぐ変更するというようなことでは、君の方と手を握れない。だからしばらくこの問題はこのままにしておこうというふうにたなあげしておくように……、と田中君に言ったのが遂に田中君はしていない。

私のいうようなことは、アメリカでそのままやっているのです。だから決してそれはアメリカに対してはできたが、日本に対してはできないというような問題ではないのです。いずれにしても今日の問題は、田中内閣のやり方が少なくとも中華民国に対する我々国民の大多数が考えている信義に反したことである。なすべからざることをしているという考え方、又それが我々と最も関係の深いアジアの諸国にどのような影響を及ぼしているか。日本という国はどこまで信用できる国であるのか。

従来我々は、東洋道徳というものは、西洋道徳と違って精神的なものであり、特に信義というようなものに対しては、最も東洋道徳に於ては重くみている。これを我々は遵守してきているのだから…。明治時代の諸先輩は非常に強調してきたのであります。アジアに於て日本人が信頼を受けた基礎であるように私は思います。

久保木君も話したように、怨みを以って報いるに徳を以ってせよ、と日本人を無事に帰してくれたのに対して、私は戦後初めて内閣総理大臣として正式に台北を訪ねまして蒋介石総統にお目にかかったのであります。その際に私はこの言葉をもち出して、日本国民はそうしたあなたの寛大な日本人に対するお取り計らいに対して感銘を深くしている。決してこれを忘れるものではございません、ということを言ったのであります。そうしたら、総統のお答えはそれを私に感謝するのはちょっと筋違いで、実は私は若い時に日本に留学して、頭山満先生や犬養毅先生方の先輩に非常にお世話になった。当時、日本の社会には旧武士道的な精神が到る所に残っていて、私のお世話になったこれらの先生は本当に旧武士道の権化のような方であった。それらの方が私に日本武士道の一つとして人間は人から受けた恩にはあくまで恩を返さなければならない。同時に怨みを受けても怨みを以って報いてはならない。徳を以ってせよと私はこれらの人に聞いたのだから、もし、私に感謝されるお気持ちがあるのでしたら、日本に帰ってこれらの先輩の墓へ参ってお礼を言って下さいと言われたのです。

私が申し上げる迄もなく、この言葉は論語にある言葉であります。蒋介石総統が子供の頃からそうした教育を受けておられたことには間違いないと思います。けれどもただその言葉のうちにあった、日本の社会には日本の武士道の精神が至る所に残っており、これららの立派な人々はこの権化のような人であったという事実に対して、今の日本を省みて私は実に現在の日本人が余りにもふがいないことに一国を代表する、我々の一億の代表であり、我々の全ての上に立って国際的な接渉をしている総理大臣が極めて官僚的な、冷たい論理から中国は一つであるから一つの国を結べば一つの国と手を切るのは当然だというようなドライな考え方で接しているのは非常に遺憾であります。

本当に極東の三国が信じあい、手を握り合っていかなければ本当の各々の平和も繁栄も作ることはできないのであります。そうした間違った処理の為にお互いが失いつつある信頼感、これをどうして我々はとり返してゆくか。私は政治家の一人としてその点について非常に苦慮しております。いろいろな方策も考えております。失われた所の国際的な不信用はなかなか一朝にしてこれを取り戻すことはできません。相当長い真剣な努力、我々が本当に誠心誠意、我々の誤りを認めてこれを償うべき我々の行為をすることによってしかとり返すべきものがないのであります。

私自身は、韓国に行っても三世紀生きると宣言してある人から笑われ、ある人からは感心して、それは是非成功されるようにと言われ、あと二八年生きれば三世紀生きるのです。幸いに生まれた時がいいからチャンスなのです。仮に三世紀生きたとしてもあと二八年です。どうしても若い世代の人々が、私のこう申す所の気持ちを理解して頂いてこの三国の間のあなた方と同じような世代の人々が手を握り、胸を打ち明けて相抱いてこの理想に向かって精進してもらいたいと思います。

幸いに今日、私どもの努力で国会の中に日華議員懇談会と日韓議員懇談会というものができております。私の如きは最も年寄ったものでありまして、若いものが多勢おります。

勝共連合の皆さんも、政治・経済・文化・宗教のあらゆる面に於て我々は、今の三国の人々が本当に手をつないでいかなければならないこういう重大な時に、韓国から有力な方々をお迎えし、意見の交換ができることは非常に有益であり、企てられた勝共連合の努力に対して心から敬意を表し、どうか一つ健闘してもらいたい。お願いします。
(『成約の鐘』一九七三年三・四月合併号より)

『原理運動の研究 資料篇Ⅰ』茶本繁正編より

これは『原理運動の研究 資料篇Ⅰ』という本に、統一教会の内部機関紙『成約の鐘』を引用するかたちで載っていたもの。著者の茶本繁正(故人)は朝日ジャーナルの原理運動追及キャンペーンにも加わっていたジャーナリストで、統一教会と政治家の関係に焦点を当てた有用な記事を数多く残している。

この講演記録からは、統一教会が世間から「親泣かせの原理運動」と非難されていることも承知のうえで語る様子が窺え、岸が単なる社交辞令として統一教会と付き合っていたのではないことが分かる。なお、久保木君というは日本統一協会の初代会長を務めた久保木修己を指している。

kuboki1996福井という人物については、久保木修己の自伝『愛天 愛国 愛人』にある統一教会と岸信介が出会ったときのエピソードにも登場する(右)。それによると、福井とは太田郁恵という統一教会信者の旧姓であり、太田は60年代の中頃、山口県に開拓伝道1)1人もしくは2人の信者で片道の電車賃だけを持って地方都市に赴き、数十日間にわたって伝道を行う教団の行事。に出かけた際に「踊る宗教」(天照皇大神宮教)の教祖と知り合い、この教祖(おそらく北村サヨ)から岸を紹介され、教団本部の隣にあった岸邸へ通うようになったのだという。

akahata1967日本の統一教会本部は現在は渋谷区松濤にあるが、ここに落ち着くまでは場所を転々とし、1964年から65年にかけては渋谷区南平台に本部を構えていた。この南平台時代に岸の私邸と隣接していたとのことだが、日本共産党機関紙『赤旗』(右[縮刷版のコピーなので掠れている])では「岸元首相邸に本部 全大学原理研」という小見出しの記事に “「全大原研」の大学生信者は東京渋谷区南平台の岸元首相の旧公邸に本部をかまえ…” とあり2)原研=原理研は統一教会の学生組織「原理研究会」のこと、ニュアンスが異なる。この記事が紙面に載ったのは67年9月27日なので、教団本部が(松涛に)移った後も原理研究会は南平台を本部として使い続けたということだろうか。

ところで、この赤旗の記事に登場する小宮山嘉一こそ、立正佼成会時代の久保木修己の同僚であり、まだ佼成会で庭野日敬の秘書をしていた久保木を統一教会に勧誘した人物とされている。佼成会からは久保木と共に40~50名の信者が統一教会に宗旨替えをし、これが日本統一協会の基礎となった。そんなことから、日本の幹部はほとんど佼成会からの移籍組で占められていたという3)『日本の狂気』荒井荒雄

演説に話を戻すと、終戦後にソ連が日本の分割占領を主張したが蒋介石の反対により免れた等の逸話にも諸説あり、これを「蒋介石神話」として否定的に見る向きもある。皮肉にも、この神話説を唱えているのは統一教会と親密な黄文雄だったりする。ちなみに、台湾といえば谷正綱がWACL(世界反共連盟)大会の名誉議長を務めるなど勝共連合に近い政治家がいる反面、過去に統一教会の布教が禁止されたこともある。

最近では右派・保守派は嫌韓との認識が定着しているが、この当時は、左派・リベラルの側が自民党と韓国の接近を「日韓癒着」などと呼び、槍玉に挙げるような時代背景があり、統一教会と自民党の関係も、この「日韓癒着」の一環として批判的に書かれた記事もある。ただ、民族派の一部には、韓国生まれの宗教をバックグラウンドに持つ政治団体と懇意にしていると見做されるのを嫌う者も存在した模様。〈敬称略〉
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脚注   [ + ]

1. 1人もしくは2人の信者で片道の電車賃だけを持って地方都市に赴き、数十日間にわたって伝道を行う教団の行事。
2. 原研=原理研は統一教会の学生組織「原理研究会」のこと
3. 『日本の狂気』荒井荒雄